明光オイルサービス株式会社のある明石の街をご紹介します

明石は子午線(東経135度)が通る時の流れを感じるまち。また、駅前の明石公園には素晴らしい自然と歴史を感じる明石城、古くは平安のロマンを物語る源氏物語のゆかりの地でもあります。そして、すがすがしい潮風、行き交う船の汽笛が海峡のまちを感じさせます。

観光スポット

県立明石公園・明石城

明石公園は明石城跡を中心に整備された公園で、野球場などのスポーツ施設や自然がいっぱい。 また、正門入口には侍姿のロボット「とき打ち太鼓」があり、人々に時を知らせています。 春は桜の名所となり、市民憩いの公園です。 明石城は別名「喜春城」と呼ばれ、1620(元和6)年小笠原忠真が築城しました。 東西にある「巽櫓」と「坤櫓」の二つの櫓は、国の重要文化財に指定されています。

JR・山陽電車「明石」駅下車 北へすぐ

魚の棚商店街

「うおんたな」と呼ばれる明石・魚の棚商店街は、約400年前に明石城の築城とともに誕生したと伝えられており、宮本武蔵の城下町の町割りの設計により造られたと言われる古い歴史を持つ市場。 全長350mのアーケードに明石特産の海の幸や練り製品、海産物の乾物などを扱う商店を中心に約110店の店舗が建ち並んでいます。


JR・山陽本線明石駅下車徒歩3分



時の道

JR「明石」駅から北東へ、明石城(喜春城)と文化博物館、天文科学館を結び、山陽電車「人丸前」駅までの約2kmの遊歩道です。 明石海峡大橋や淡路島の眺めが素晴らしい人丸山上には日本標準時子午線を示すトンボの標示柱があります。「時の道」は歴史と文化に触れることができる都心回遊路です。

JR・山陽電車「明石」駅下車北東へ
山陽電車「人丸前」駅 下車徒歩北へ

大蔵海岸公園

青い海と雄大な明石海峡大橋が目の前にあるシーサイドの公園です。 海洋冒険家・堀江謙一さんの「モルツマーメイド2号」が展示されています。 また、ヨットの帆をイメージした休憩所や霧が出てくる珍しい日時計などもあります。 夏は海水浴やバーベキューサイトでにぎわい、夜はシーズンごとにパターンの変わる大橋のライトアップと、一日中ゆったりと過ごせます。

JR「大久保」駅 より 神姫バス 明石中央体育会館行き
「明石中央体育会館」下車

明石海浜公園

明石市南西部の人工島内にあります。 総合公園として整備され、野球場、テニスコート、プールなどがあり、年中市民がスポーツを楽しんでいます。 また珍しい木陰日時計があり、5月にはつつじの名所となります。 四方を海に囲まれ、海釣りのメッカとしても人気が高いところです。

山陽電鉄「東二見」駅下車南へ徒歩15分

グルメ

玉子焼き
板の上に並んだ黄色いまんまる。食べればあつあつ、ふんわり、とろーり、そしてコリコリっとタコの心地よい歯ごたえ…。これなくして明石は語れない明石食文化の一つ。 地元では「玉子焼」の名で親しまれ、別名「明石焼」として全国的に知られています。 そんな玉子焼のお店が明石市内には70軒以上点在しています。



お鮨
明石といえば新鮮な魚介類が捕れる魚場として有名である。そのぴちぴちネタを使いこだわり抜いたシャリでにぎる「鮨」は格別。 季節により捕れる魚もいろいろ、旬の海の幸を堪能しながら本物の「鮨」の極みを感じて下さい。



お土産
その昔、城下町として栄えた明石のまちには伝統的な和菓子の老舗が充実。 どのお店もこだわりの味を守りつつ、明石らしい風物をモチーフにした小粋な趣向の和菓子を提案しています。 お土産の包みを、そっと紐解くあのひとの頬も、思わずにこりとゆるみそう…。



行事など

左義長

左義長は、平安時代、宮中で行われていました。正月明け15日に御所の庭で、青竹を束ねたものに扇子、短冊、書などを添えて焼く行事でした。次第に庶民に広がり、しめ飾り、書き初めなどを持ち寄って焼くようになり、明石でも昔から行われていました。明石浦の左義長は、15年ほど前から漁業協同組合と地域が共同で行い、市内でも最大級のものです。早朝から高さ12メートルの骨組みに張子の鯛、タコなどを飾りにそれを1000本の青竹で囲み、しめ飾り、門松などと一緒に燃やします。海上安全と豊漁を祈る魚のまち、明石らしい行事です。


御崎神社 的射

平安時代の頃は、格式ある神社のひとつでした。山王権現と呼ばれていたと言い伝えられていますが現在は市無形民俗文化財に指定されている神事、的射が有名です。伝説では、昔、神々の乗った船が藤江に来た時船夫が誤って大きなアカエイの鼻に錨をおろした為、アカエイが怒って船夫の船を沈め、死んだ船夫が悪霊となり、村人たちに危害を加えた。この神社の山王権現が弓矢で悪霊を退治したことにちなんでいます。大前や弓立衆とよばれる5人の氏子が30メートル先の的に21本の矢を射て、悪霊を払い、豊作、豊漁を祈る神事です。


住吉神社 奉納能楽会

4世紀頃、神功皇后が韓国の遠征途中、播磨灘で暴風雨に遭いこの海岸に立ち寄り住吉大明神に祈られますと、風雨が収まりました。皇后がここに住吉大明神を祀ったのがこの神社のはじまりと言われています。江戸時代、明石城主小笠原忠真が能舞台を建立、現在、市有形民俗文化財に指定されています。明治時代までは祭礼、雨乞いの時に能を、大正時代は春祭に狂言が奉納されていました。昭和に途絶えていたが昭和50年氏子や愛好家によって復活、以来毎年開催されている能楽会は有名ですが、藤棚もシーズンにはたくさんの人たちで賑わっています。


時の記念日

671年4月25日、天智天皇が漏刻(水時計)を使って初めて民衆に時を知らせたのが、現在の6月10日にあたるため、1920(大正9)年、時間を守り、生活の合理化を図ろうと生活改善同盟会により、この日が時の記念日に制定されました。明石市は東経135度、日本標準時子午線が通るまちとして、1964(昭和39)年、「第一回子午線まつり」を開催。毎年6月10日から1週間「時のウィーク」行事を明石公園他で開催しています。


御厨神社 秋祭り

4世紀頃、神功皇后が韓国に遠征する時、この辺の浜に船を寄せ兵糧を集めたことから御厨(みくりや)との神名が付けられたと言われています。9世紀後半に八幡宮を勧請。10世紀後半には菅原道真が左遷され大宰府に向かう途中、この神社で休んだことから天満宮も勧請しています。境内に、この伝説を伝える碑や、天満宮ゆかりの霊牛神社があります。海運関係者の信仰も厚い。鯛やタコを染め抜いたハッピ姿の若衆が担ぐ神輿は明石の秋祭りを彩ります。


明石公園菊花展覧会

菊は明石市の花であり、昔から明石にはたくさんの愛好者がいました。大正12年ごろ、兵庫県立農業試験場で栽培されていた菊を一般公開したところ、鑑賞客が激増しました。そこで、大正15年に明石公園に会場を移し、展覧会として毎年開催されることになりました。以来、菊花展は、明石の歴史を飾る展覧会となっています。幽邃閑雅な明石城を背景に、大菊、懸崖菊、盆栽菊など約1,500鉢を展示します。


明石駅前イルミネーション

明石の商業の活性化と観光客誘致を目的に、また市民の皆様に楽しんでいただくため、平成11年度から開催しています。今では冬の風物詩として広く親しまれ、明石のまちをロマンチックに彩っています。